牧野富太郎美術館を訪ねた
















植物の形は神が与えたもう至高のデザインであると常日頃感じる。


たとえば、苔むす壁に目をやるとする。苔達は黒い壁に大きな緑色の手形を作っているように見える。壁へ5歩ほど近づいて行くと、苔の中にムラが見えてくる。緑色が濃い部分と薄い部分がある。またところどころに小さな紫色の花が咲いているようなこともある。名前は知らない。さらにもう3歩近づいてみると視界はほとんど苔で埋まることになる。顔を近づけるとその柔らかい壁は周りの音をとても吸収していることに気がつく。このような壁からはほのかな暖かさを感じる。最後の一歩を踏み込み、顔を近づけてみると、そこには私たちの手のしわほどしかない木が生い茂る大森林が広がっていることに気がつく。その森の中を静かに散歩する虫などもいる。細かく見ていると、5分や10分といった時間が簡単に過ぎ去ってゐるのだ。


私の二十歳の時、人足を一人つれて土佐幡多郡を広くまわって、植物の採集をした。その間、ほとんど一カ月を費した。土佐の西南端の柏(かしわ)島、沖の島へも行き、また土佐の西の岬と称する足摺岬へも行った。途中行く行く植物を採集したからその種類も多かったが、これが非常に私の植物知識をふやすに役立った。何といっても植物は採集するほど、いろいろな種類を覚えるので植物の分類をやる人々は、ぜひとも各地を歩きまわらねばウソである。家にたてこもっている人ではとてもこの学問はできっこない。日に照らされ、風に吹かれ、雨に濡れそんな苦業を積んで初めていろいろの植物を覚えるのである。