IID4周年オープンキャンパスに向かった。三軒茶屋で食べたカレーがウマかった。

クリエイティヴな空間は何が違うのだろうと思いながら見て歩いた。テナントにはいっている彼らは自らがそれぞれプロジェクトを持ち、発信する側として常に行動している。規模の大小に関わらず、展示内容が出されていた。そこに感じたのは正直さである。例えば企業の説明会のような場所と何が違うか。やらされているのではなく、こっちが楽しいからあなたも見たければ見て行ってもいいよという、ちょっと素っ気ない感じ。でも興味津々そうな人には説明を惜しまない。でも説明に必死にはならず、自分もそこでやっていることを楽しんでいる。無愛想な人も別に悪くない、そんな空気があるんだなあと感じた。

麻布のお話

麻布について研究している滋賀県立美術館のキュレータの吉田さんにお話を伺った。
キーワード:大麻空海大嘗祭宮内庁徳島県の三木家

  • 麻布は麻の布を作っていたところ
  • 砧はそれを砧で叩いていたところ
  • 調布は調として納められる布を集めていたところ

大嘗祭 - Wikipedia
http://asafu-inst.com/(近世麻布研究所、IID106)
http://www.h4.dion.ne.jp/~toso504/Sikokufuubutusen/Sikoku-Kentikubutu-tokusima3.htm

http://www.h4.dion.ne.jp/~toso504/Sikokufuubutusen/gazou13/awa.jpg
三木家住宅は、見晴らしのよい山上近くの斜面にポツンと建っている。住宅は南に面し、茅葺、寄せ棟、桁行22.2メートル、梁間9.3メートル、棟に煙出し、軒周りに庇(オダレ)がまわしてある。築年は17世紀(1650年頃)。徳島県では最古の民家とされている。
(中略)

阿波は、麻や楮などの生産地であったことが「古語拾遺」や「倭名類聚鈔」などにみえる。阿波の開拓者は忌部氏。忌部は、もともと斎部(さいべ)ともいわれ神明に奉仕した部族である。阿波と讃岐の忌部がよく知られているが、紀伊、伊勢、出雲、筑紫などにも住み畑地の開拓に当たった。日本神話は、阿波忌部は瓊々杵尊ニニギノミコト)の従臣、天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を祖とする部族と伝えている。

(中略)

阿波忌部氏は太古から天皇が即位のときは麻から麁服(あらたえ)を織り、践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)に貢進してきた。麁服の貢進には、阿波忌部の直系・三木家が関わり、御衣御殿人(み三木家資料館三木家資料館2ぞみあらかんど)として朝廷と深い関係を保ってきたのである。太政官から忌部宿禰あて貢進の要請文書など鎌倉から室町期にかけての古文書が多数保存され、三木家付属資料館(写真左右)に展示されている。

三木家は、今日においても連綿として御衣御殿人の役割を果たし続けている。南北朝動乱期から江戸期まで中断していた麁服の貢進が大正時代に復活し、昭和、平成と受け継がれた。平成の践祚大嘗祭に伴う貢進では、木屋平で栽培、調製された麻から山崎忌部神社の織殿で麁服が織られた。周辺市町村の関係者あげて貢進に当たり、その様子は三木家付属資料館に展示された記録写真等からうかがい知ることができる。

中世における三木家は、木屋平から吉野川に至る広大な領地を支配し、山岳武士団の棟梁として君臨した。この地方の支配に関する古文書も資料館に展示されているので
見学されるとよいだろう。ご当主は、三木家第28代目である。-平成16年9月-


階段から見えた校庭の景色、少し見える空がよかった。フェンスは学校の景色には欠かせないものだ。